みなみの備忘録

とあるライブラリアンの備忘録です。

1/17 パブリックドメイン資料の利用条件シンポジウム参加メモ

1/17に開催された下記シンポジウムに参加しました。

シンポジウム デジタル知識基盤におけるパブリックドメイン資料の利用条件

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最近下記のような記事が出ていたこともあり、

Reproductions of Public Domain Works Should Remain in the Public Domain - Creative Commons

どんな展開になるのか興味があり参加。途中までしかいられなかったものの、特に冒頭の渡辺先生ご講演は現状の整理にとても有意義だったので、簡単に記録を。
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ご講演の主題(取り扱うテーマ)は以下の2つ。

  • CCライセンスを権利者の立場にはないものが、PD資料につけるということ(CCライセンスの拡大適用)
  • PD資料に利用条件を課すこと

さらに、先生からのメッセージは以下の2つということで、スライドの冒頭で示されていた。

  • 利用者にとって使いやすい環境を作るべき。リーガルコミュニケーションの標準化は重要。
  • 「お願い」+「規範」は検討価値があるのでは?

続いて、上記に至るまでの考察が示される。CCライセンスがデジタルアーカイブについている例は珍しくないが、ライセンスのサポート側としては複雑。必然的に誤解を伴っている可能性が高く、ライセンスを無視しても権利侵害が起こらないという事例が増えることは、CCライセンスにとって良くないのでは・・・との懸念。
さらに、著作権制度について考える立場からは、アーカイブ運営主体も権利者だ、という誤解を招いたり、数値データのように著作物ではないものが著作物だと誤解され、利用の委縮が文化・経済にとっての逸失利益に繋がってしまうのでは。
もっとも、CCライセンスを流用したいとの要望は、オープンデータの世界でもその他の領域でもよくあるとのこと。また、デジタル化やアーカイブの維持にはコストがかかり、料金をとりたい場合もあったり、社会的意義を知りたい/評判を高めたい目的もある、との言及あり。

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こういった背景を踏まえた上でどのような視点を重視するかと言えば、利用者にとって使いやすい環境を一番に挙げられていた。利用規約や独自ライセンスはこの観点から難があり、学習コストが高く、乱立すると組み合わせ利用の大きな妨げになる。せめてデジタルアーカイブ共通利用規約(のようなもの)が必要だろう、とのこと。
また、「お願い」と「規範」の意義についてもここで触れられていた。そもそも強制力を持たせることにどれだけの意味があるのか?という疑問から始まり、具体的な人物像の分析に。いわく、CCライセンスであれば、PD資料の権利者ではない人が付したところで強制力はなく、PDなので著作権もない。誰がライセンスを遵守するのかといえば、真面目で丁寧(=きちんと利用規約を読んで要望を理解した人)だが、権利の所在について誤解している人(=CCライセンスがついているので、データ保有機関が権利者だと思っている人)になる。本当にそれでいいのか?

さらに、「利用規約による強制」への分析が続く。利用規約はユーザーフレンドリーではなく、読まれないことも多い。規約は法的に有効性が高いものの、射程が限られる(DAウェブサイトの直接利用者のみ。ウェブサイト外で受け取った人は利用規約に縛られない)。また、著作者の数が多い場合、現実問題として列挙が難しい。表記を指定しても、いろいろ想定できない場面が出てくる(例えば、ポッドキャストでは文字を書けない)。CCライセンスで書かれているように、合理的な記載であればよい、という要件の緩和が必要。
そのうえで、権利情報と利用条件の伝え方はある程度標準化されているrightsstatementsはよいのでは。PDならPDと明記する、利用規約で縛るならそれも伝える。標準化されているので学習コストも低減できるメリットがある。

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ここからは「お願い」ベースへの分析。強制力を持たせないのも一案、という前振りから、インターネットは力比べ(≒規約の有無を押し通すやり方)に向く場ではなく、法的にどうあれ、反感を買えば炎上するリスクがある。特に、利用規約は炎上のネタになってきた(権利を召し上げる系の投稿サイトの規約)、との懸念を紹介。
また、「お願い」ベースが実は提供機関の実態に近い本音なのでは?という分析も。つまり、「報告できないなら利用(あるいはクレジットの付与)を断念してほしい」とまでは考えていないし、「無報告利用者を捕捉して利用報告(あるいはクレジットの付与)を強制する」つもりもないだろう、という推察。

続いて、(「お願い」に実効性を持たせるための検討として)アカデミアの規範との関係性について。アカデミアにおけるcitation(またはquotation?)に著作権上の根拠はないが、citationがないと剽窃になりうる。アイディアの借用など許諾が不要な行為であっても同様であり、法規範とは別の要請からきている(先行研究を知っていることを示す、読者による検証・詳細な研究を可能にする:知のトレーサビリティ)。文化全体にそれを期待するのはやや厳しいだろうが、オピニオンリーダーや、利用者コミュニティを巻き込んだ合意形成をすればよいのでは。

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中間まとめ。利用者本位のリーガルコミュニケーションという視点が重要。利用規約、rightsstatements、お願い、どれであれ多様な内容や伝え方は利用者の負担。学習コスト削減には標準化、共通化が必要(あるいは有効)。上記を前提にしつつ、どのように実現していくかを考える上で、CCライセンスのデザインから学べることの紹介。「利用条件」のような一般名詞ではなく、固有名詞で名前がついている。サイトやプロジェクトに特有の条件ではないため、多くの資源が同一の条件で使え、かつ見るだけで分かる。アイコンで表現される、略称がある、固有のURLがある、etc...

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最後に留意すべき点の指摘がいくつか。非常に人気があることが確実なコンテンツは、利用条件が厳しくても利用される。利用条件が緩くても、他のコンテンツとのアテンションの奪い合いになる。とすると、利用条件よりも他の要素(discoverability、メタデータ、ニーズとメタデータのマッチ度の高さ)が重要なのでは、というコメントがあった。
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その後の各機関によるデジタルアーカイブ事例報告も含め、ライセンス(という単語が適切かどうかは一旦置いておき)の共通理解を促進する観点で面白いイベントだった。「お願い」がやはり妥当な線、という方向性が示されたのは結構大きい気がする。

ただ、個人的に気になる点としては、「お願い」はデジタルアーカイブ公開が目的の機関であれば機能するが、利用統計を活用して事業資金の獲得や産業利用に繋げるといった立場からはやや物足りないはず(いざというときの対抗手段を、みすみす手放すことはないと思う)。契約による強制力は、なお必要な場面がありそう。もっとも、デジタルアーカイブの対象資料は一度PDになったものなので、たまたま保有していた機関が「囲い込み」することには相当の反発があるだろうが・・・オープンアクセスの議論に見られたような「最低限の制約」の共有が次の課題だろうか。