みなみの備忘録

とあるライブラリアンの備忘録です。

1/30 「オープンデータと大学」シンポジウムメモ

2月があっという間に過ぎて行った。。。いろいろ書いておくべきことがあるけれども、まずは前回積み残しのものから。

シンポジウム「オープンデータと大学」 | 九州大学大学院統合新領域学府ライブラリーサイエンス専攻

1月末に九大図書館で開催されたシンポジウムに登壇させていただきました。他の方々の講演内容はスライドが公開(※)されていたり、ライブラリーサイエンス専攻の年報に掲載されたりするらしいのでそちらに譲るとして(というか皆さんの資料以上のことは特に書けない)、ディスカッションで印象に残ったことのメモ(+後で考えたこと)を。

※なお、公開スライドはわざわざ自分だけCC-BYにしてもらいました(アピール)

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・オープンデータの進め方

→ オープンデータを進めるに当たっては学内での協力を当然求めていくことになるが、変にインセンティブを出すと反発が起きかねないかも、という懸念(という趣旨と理解した)。

 → データは、誰に向き合うのかによって公開可否やアピールポイントが異なってくるので、場合分けして議論を詰めていく必要あり。大学院生にはこれから当然になりつつある流儀として伝えていくべきだろうし、経営層にはオープン化が大学の競争力を削ぐものではなく、むしろ研究者に魅力的な環境を提供する基盤があることをアピールできるものとして伝えていく必要があるだろう。

 

・大学評価とオープンデータ(あるいはオープンサイエンス)

→ オープン化の指標が必要では、という問いを含んだものとして理解。個人的には、オープン化の度合いが大学評価に組み込まれることには抵抗感がある。というのも、データは産業的な価値から公開可否が決まる面があり、あまり使われないデータはよりオープンに向かう(ことで存在意義をアピールする必要がある)が、閾値を超えると逆に囲い込みの対象となってしまう。大学評価の観点では、クローズであっても良い研究や産学連携に繋がるのであれば歓迎だろう。デジタルアーカイブの文脈では評価もセットで検討されているようだが、

 

我が国におけるデジタルアーカイブ推進の方向性

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/digitalarchive_kyougikai/houkokusho.pdf

 

このあたりは公共オープンデータや既に法的期限切れのデータと分けて考える必要がある、との認識は変わっていない。その意味では、大学や研究機関の公共性は「競争力(特に国際的な)」で制限される、という言い方ができるかもしれない。

 

・「大学」自体のオープンデータについて

→ 大学はオープン化の潮流に対して何をするのか、という問題意識。もちろん、公共機関としての大学データ公開は、文書管理の問題として現れてくる。大学の社会的責任を果たす上で文書オープン化は有効だが大概の場合お金は付いていないので、そこに資金を集めるための方策が必要。勝手な思いつきとしては、市民に向けたデータを公開するためなので、クラウドファンディングも選択肢になるのでは、と思ったり。大学の元関係者(友の会的な)からの出資が見込めるかも。

 

・専門家養成のシステムについて

→ データの専門家が必要か、という問いに対してはもちろんyesだが、養成システムが必要かどうか、(改めて考えると)悩ましい。当日のスライドとはやや違った方向性になるが、というのも、養成システムは既に各所にあって(例えばSE関係の研修)、単にその技能を持つ人たちに職が開かれていないだけ、と思い始めている。大学内でも、職に魅力があればやりたいと思っている人材はいるだろうし、自分でスキルを身に着けてくる人もいるだろう。足りないのはポジションだけなのでは、というのは行き過ぎだろうか。

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今回のディスカッションの反省。実のところ、「自分たちがなぜ推進すべきなのか」という問題に対して「説明責任」だとか社会の潮流の観点でしかうまく説明できなかった。ほとんどの場合、大学/研究機関にとってオープン化はまだ「外部のため」でしかないのは薄々感じていて、自分ごとに引き付けるために必要な、オープン化を進めることで自機関に何かが返ってきたり、自機関の研究者に資すると言い切れるポイントが具体化しづらい。うーん、何かないですかね。